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See, that’s what the app is perfect for.

Sounds perfect Wahhhh, I don’t wanna
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宮崎駿「学生時代に本を読まないのは勝手だけど、そのつけは全部自分が払うんだから。
     知識や教養は力じゃないと思っているやつはずいぶん増えたけど、結局、無知なものはやっぱり無知ですからね。
     どんなに気が良くて、どんなに一生懸命でも、ものを知らないというのは自分がどこにいるか知らないことですから。」
Source: yshhrknmr
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HEAVEN 20150804

tofubeats

 基本的に年というのは区切るタイミングでしかない。誕生日は毎年1日だが毎日本来人は年を取る。物事は断続的に続くが、やはり区切りに区切っておくってのは重要だな、というのをtomad社長は意外に考えているんだな〜

  と思ったのがMARU-50「mp3 killed the CD star?」のころなので、やはりその5年後の今年も10年のネットサーフィンを区切ることとなった。まあ音楽なんてまさに時間を区切ってナンボのもんですけれども。5年目に50、10年目に100を出すところが少々ニクいがこのイベント、そして同時期に出版される#maltinebookという奇書とともに僕らリリース経験者(レーベル・メンバーという表現は避けたい)やイベント出演経験者は振り返ることとなった。

 dj newtownというのはマルチネレコードっぽくない存在だと思っていた。当時のマルチネレコードはもっと爆発力のあるリリースが持ち味で、自分が出すようなところだとはあまり考えていなかった。WIRE08用に作った習作の数々は今聞いたら十分RAWなものだが、マルチネの当時のラインナップはさらにハーコーだったのでそれらに並ぶのが申し訳なく、お伺いをたててリリースしてもらう時に別名義にした覚えがある。そもそもマルチネの存在を知ってから音源を送るまでには結構タイムラグがあったと記憶している。あとからdj newtownがある意味多くのリリースである程度パブリックイメージに貢献できたのは嬉しいし、実際自分の活動にも多くのフィードバックがあったが、やはり最後まで外様だった感は否めない・・・というかそもそもマルチネレコードはハブであるから、そのくらいの距離感でいいのかもしれない。

 昨日、天に遊びに来た人たちは何を考えていたのだろう。もっと言えば出ていた人たちも何を考えていたのだろうか?どこに行っても楽しいな、と思いながら一方でどうしてもそれについて考えてしまっていた。

  もちろん10年間全てを知っている人なんて当日ステージに居た人でも少数だ。僕でさえimdkmさんにその存在を教えてもらうことがなければもっと合流は後だったかもしれない。あの日、最後に自分の傍で感極まっていたimdkmさんを見ながら、クールジャパンが自分がマルチネのイベント「帰り際モラトリアム」用に初めてやったネタ「サンプリング&エディット講座」の完コピをやっているのを見ながら*、ステージで5年以上前の自分の曲をプレイしてその反応を見ながら、そして家に帰ってdust.cのライブ動画(windowのリミックス最高)とメインフロアのライブ動画、自分で録画した最後の30分間の動画を見ながら距離感について考えた。時代は変わっていくので仕方ない。大臣は結婚し、同い年のテムズは就職した。本当は音楽はいろんなことがある人生の一部だ。だからあの日は楽しかったのである。先に奥さんと大阪に帰る大臣を見送りながら自分は音楽を演奏したりしている瞬間がある程度仕事になっているんだなあと痛烈に感じた。その分得たものも多いけれども、僕が多感な時期に音楽を教えてくれたのは大臣でもあるので、 変な感じだった。人生初のクラブイベントは大臣に連れられて行ったものである。

 メジャーデビュー前後くらいから自分の中の全ての常識は揺らぎ続けている。公私ともに音楽や生活との向き合い方、そしてモチベーションの設定の仕方を見直さざるを得なくなった。言うことが変化していくのは良くないことだと思っていたが、ここまで変わってしまったらもう自分でも認めざるを得ない。POSITIVEなんてアルバム名につける奴になっているのはウケますね。 

 やはり家で音楽を楽しくて作っていただけの自分が、いつのまにかそれに生活を支配されるようになり、また自分の生活を支配するために音楽を作らねばならない循環に突入した。公私というものの概念は未だに住み分けができていないので、そういうことができている人の気持ちがわかりにくい。早いうちから音楽を作っていたのは今となっては後悔する部分も多い。早いうちからやっていたこと自体が失敗なのではない。早いうちからそれを精神の拠り所にするあまり他のことがからっきしになってしまったことが失敗なのである。オカダダさんに「お前は音楽を作ると自分のことがよくわかって良い、というが、それが料理な人間もいるし、もしかしたら友達と話すことで音楽と同じくらいそれに気づく奴もいるかもしれないぞ」と言われて膝を打った。
 音楽なんて別にやめても大丈夫と言い聞かせつつ、一番しがみついているのは自分ではないか。今でも行動する中で音楽のことから順番に考えるのが正義である、と考えてしまう。それは本当はかなり愚直すぎることでないかと思う。そう思うようになった。まあその愚直さがノンキャリアでもメジャーアーティストとしてやっていく図々しさみたいなのを与えてくれている部分もある。 根拠の無い自信(またはそう錯覚できるもの)が必要な時もある。

 一方でそれが常識のある人にできないことでもあるということもわかる。だから僕の音楽を買ってくれる人も居るのだと思う。ただ世の中無いものねだりなので、実は一番俗っぽい自分を呪い、大臣のように就職をして家庭を持って奥さんを愛す生活がうらやましく感じることもある。 

 マルチネ天でそんなことを考えた自分に対してめちゃくちゃビックリした。これ自体が10年間の長い時間を感じるきっかけでもあるし、一方で根底の変わってなさでもある。マルチネ10年、イベント天、POSITIVEリリース。いろんな変更や更新も近い。maltinebookが出たら休みをじっくり取ってどこかのカフェでゆっくり読みたいが、自分の顔の広告が裏表紙に出稿してあって読めないので、スケブリさんあたりから完全pdfをもらってパソコンで読みたい(ください)。 それでこれまでのことを反芻しながらこれからのことを考える。別にそれは毎日やっていることでもある。 



*ちなみにtofubeatsのサンプリング&エディット講座にも元ネタがある。京都のVINYL7というレコード屋に行ってみよう。

okadatakuro
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「シティポップ」ってなんだろうとよく考える。どうやら自分の範疇では二つの種類がある。

一つは、AORの日本語版的な考え方。個人的なAORの捉え方は、おおまかだけれど、、ウエストコーストロックのハーモニー、70sソウルミュージックの都会的なビート、エレクトロマイルス以降のジャズにおける複雑だが洗練されたコード進行、楽曲のフレームが融合、フュージョン。Larry CartonやSteve...

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tofubeatsの『lost decade』をよく聞いている。話題作なだけに色々な聞き方をされてるけど、僕はとてもヒップホップらしいアルバムだと思った。それはPUNPEE、 SKY-HI、ERAといったMCを集めて彼らが今までやってこなかったようなトラックをぶつけているとかそういった部分もあるけど、もっとアルバムを通 してヒップホップだなと感じた。これからそれを好きなように長々と書くよ。

まず耳を惹かれるのはJ-popにしては音が安そうでペラペラしてるところだ。言葉は悪いけど、けなしているわけじゃない。このペラペラな音の質感には3つぐらいの意味を感じている。

 1つ目は2010年頃から流行しているクラブ・ミュージックで80年代のAORを再解釈したサウンドの流れ。日本ではDorianが代表的だけ ど、こうしたサウンドは、80年代当時は最新機器だったシンセのサウンドを現代に安っぽく再現することで、消費社会に疑問を持たずに楽しめた頃を諧謔混じ りにシュミレートして楽しんでるって感じがする。

 2つ目はミックス・テープをフリーダウンロードでリリースし、評価を得るということが定着してからのUSヒップホップと、それとともにあるスク リューやトラップといったベース・ミュージックの流れ。フリーで出すものだから、安く早く作る必要があって、音質も粗悪なものになる。ここもけないしてる わけじゃない。そもそもヒップホップはサンプリングから始まった音楽だから、そのしょぼさを気持ちよいいものとして昇華した音に当然なっている。

 3つ目はDe De Mouseあたりからの郊外をテーマにした日本のクラブ・ミュージックの流れ。De De Mouseがインタビューでスーパーやホームセンターで流れてるフュージョンがいい(※1)ということを言っていたけど、tofubeatsのシンセの音 にはそういう安っぽさも感じる。De De Mouseは「多摩ニュータウンのような郊外の美しい街並みに合うサウンドトラックを作って行きたい」と発言していて、tofubeatsもかつてdj newtownという名義でもリリースもある。実際に交流もあるみたいだし(※2)。

 こんな感じで1つ目からはクラブ、2つ目からはインターネット、3つ目から郊外というように、tofubeatsのサウンドからは彼が身を置いて いる環境を想像させられる。 そして、そのサウンドにのせられるのは、「SO WHAT!?」のような80年代後半~90年代前半のJ-popのメロディ(※3)、「No.1」は90年代後半あたりのソウル寄りのJ-pop、「水 星」のCHAGE and ASKA が歌ったらハマるんじゃないかというような少しコブシの効いた歌謡曲っぽいサビだったり、だったりと年代がバラバラだ。こういうところには好みのものアー カイブから選んで並列に扱うような感じがする。

 この点についてtofubeatsを語る際にもよく引き合いに出される渋谷系について振り返ってみると、小西康陽や小沢健二は筒美京平のような職 業作曲家を明らかにリスペクトしていて、引用や編集で音楽を作るという手法でどこまでそこに迫れるかというテーマがひとつあったと思う。それはアナログ・ レコードからCDに切り替わる過程で再発が多くなされ、過去の音源を簡単に入手できるようになったことや機材の発達などの環境面の変化が原因なんだけど、 CDからさらにデータに移っていく現代ではそれがもっと加速している。90年代では1曲の中に詰め込まれているジャンルが2つか3つだったかもしれないけ ど、『lost decade』のメロディやサウンドにはもっと色んなものが混ざっている。もちろん、これはtofubeatsだけの特徴ではなくて、クラブ・ミュージッ クを当然のものとして聞いているある程度若い人が作った音楽にはよく当てはまることでもある。でも、その感覚でJ-popを作り上げることはまだ彼しか やっていないだろう。

 最後にtofubeatsは歌詞にもはっきり特徴があると思う。それは音楽を聞いたり、踊ったり、作ったり、ということについての歌詞が多いとい うこと。「ALL I WANNA DO」、「synthesizer」「水星」は直接的にそうだけど、これは「No.1」や「touch A」やみたいな曲でも、ラブ・ソングに聞こえるようで実は音楽についての歌詞だと思う。ヒップホップの曲では、ヒップホップ自体を女の子に例えてどう思っ てるかを歌詞にするっていうのは常套手段(※4)だし。同じように歌詞の中の「君」=「音楽」だと考えると、「No.1」はクラブでライブやDJをしてい る時、「touch A」はクラブでイベントが終わった時の気持ちについての曲にも聞こえる。そして、アルバムの実質的なラスト・トラック「LOST DECADE」では〈ドキドキしたいならこれを ワクワクする瞬間このときを わすれないで わすれないで〉と歌われている。つまり、『lost decade』は歌詞やサウンドから近年の音楽やそれを取り巻く環境を思い起こさせるような表現をしつつ、最後に音楽はやっぱりドキドキして楽しいもの だっていう、とてもシンプルで年代に関係ないメッセージで締めている。ここに来て『lost decade』=「失われた10年」という言葉がもたらす暗いイメージや時代にとらわれてしまっている部分が解放されて、むしろ、こんな音楽文化があって 『lost decade』を生み出すなら悪くないんじゃないかと思えてくる。つまり、tofubeatsは貧しいものとして見られがちな自分自身が育ってきた「失わ れた10年」の文化や環境を、『lost decade』で豊かなものとしてみんなに再提示したんだと思う。RUN-D.M.Cが紐なしアディダスを自分たちのスタイルとして提示したように。それ が僕にはとてもヒップホップらしいと思えた。

※1 http://www.cinra.net/interview/2011/12/07/4d475bc879c50219e86c53bd99b5433e723652d6.php?page=2

※2 http://come.andrewind.me/post/27330645817/interview-with-tofubeats-side-a

※3 具体的には、今井美樹「雨にキッスの花束を」など。

※4 Common「I Used To Love H.E.R」、Nas「Can’t Forget About You」など。